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東京地方裁判所 昭和46年(ワ)8453号 判決

原告 館野正盛

被告 国

訴訟代理人 坂本由喜子 石田貞三 ほか三名

主文

一  原告の請求を、いずれも棄却する。

二  訴訟費用は、第一〔編注:昭和四六年(ワ)第八四五三号土地明渡等請求事件を指す。以下同じ。〕及び第二事件〔編注:昭和五〇年(ワ)第一一〇八一号土地所有権移転登記抹消登記請求事件を指す。以下同じ。〕を通じ、原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

(第一事件)

一  請求の趣旨

1 被告は、原告から金六九九万五三五〇円の支払いを受けるのと引換えに、原告に対し、別紙第一物件目録記載の土地を明渡せ。

2 被告は、原告に対し別紙第一物件目録記載の土地について、所有権移転登記手続をせよ。

3 訴訟費用は、被告の負担とする。

4 仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1 主文同旨

2 仮執行免脱の宣言

(第二事件)

一  請求の趣旨

1 被告は、原告に対し別紙第二物件目録記載の土地について、横浜地方法務局大和出張所昭和四一年四月一五日受付第九四二六号の所有権移転登記の抹消登記手続をせよ。

2 訴訟費用は、被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

(第一事件)

一  請求原因

1 原告は、昭和四三年五月一六日、被告から、別紙第一物件目録記載の土地(以下、本件土地という。)を代金六九九万五三五〇円で払下げを受けた(以下、本件払下げという。)。

2 原告が、被告から、本件払下げを受けるに至つた経緯は次のとおりである。

(一) 原告は、昭和三八年九月頃から、厚木米海軍飛行場(以下、厚木基地という。)の北方約一キロメートルの附近に所在する別紙第二物件目録記載の土地(以下、原告所有地という。)に居住し、同所において有限会社館野鉄工所の代表取締役として鍛造業を営んでいたところ、昭和三九年九月八日午前一一時頃、右厚木基地を離陸した米海軍第七艦隊所属のF8Cジエツト戦闘機が、原告所有地上の建物に墜落し、その結果、原告所有地上の工場二棟諸機械設備、原告所有の住居一棟等を全壊全焼させ、また、右工場内で勤務中の原告の長男館野年和(当時二五才)、同次男館野幸男(当時二三才)、同三男館野和之(当時一九才)を含む合計五名が死亡した(以下、本件事故という。)。

(二) 被告は本件事故によりにわかに高まつた厚木基地撤去の世論対策として、厚木基地周辺地域に危険区域を設定して右危険区域内の土地を買収し、移転勧告等を行う方針を立て、本件事故直後に大和市上草柳公民館において、基地周辺土地買収の説明会を催し、原告を含めた基地周辺住民に対し、「基地周辺地一五〇〇メートルないし二〇〇〇メートルを危険地域と指定するので買収に応ずるよう」強く求め、昭和三九年一〇月初めから坪単価金五六〇〇円で、右危険区域内の土地所有者に対して買収交渉を開始した。

(三) 原告は、原告所有地上に、鉄工所を再建する計画であつたが、原告所有地は、前記危険区域内に位置しており、被告が、原告所有地における工場再建は認めないという方針で行政指導を行つていたため、原告は、被告の右行政指導に強制力があるものと考えて、被告の原告所有地買収交渉に応じることとした。

(四) 原告は、昭和三九年一〇月初頃、本件事故の補償についての所轄庁である防衛施設庁(以下、所轄庁という。)の横浜防衛施設局(以下、施設局という。)事業部長室において、訴外桑原源太郎(以下、桑原という。)とともに、訴外森和雄(以下、森という。)事業部長、訴外河野武(以下、河野という。)施設部長と面談した。

原告は、右面談の際、被告が原告所有地を買収するための交渉に応じる意思はあるが、買収価格が被告提示の坪単価金五六〇〇円ではあまりにも安価に過ぎるので、原告の移転先土地価格と、原告所有地の買収価格の差額を補償して欲しい旨希望を述べたところ、森は予算との関係で、原告の要求する差額金を補償することはできないが、原告には前記危険地区内の住民と異なり、移転先土地の取得が非常に困難な事情があるから、別紙第三物件目録記載の土地(以下、はの原の土地という。)を、原告所有地の買収価格と同価格で原告に払下げるので、そこに、原告が計画している工場を再建するよう提案した。

(五) 原告は、その後、右はの原の土地を実際に調査したところ、右土地は、道路不整備のため工場適地とは考えられなかつたので、その頃、施設局事業部長室において、森事業部長に面会し、はの原の土地の払下げを条件とする買収申込みは、一応保留して、他の工場適地をさがすことを申入れ、更に、原、被告間で、原告所有地の買収交渉を継続することになつた。

(六) 原告を含む前記危険地区内に居住する住民らは、被告の堤示する買収価格が不当に廉価であり、また、右土地上の建築物に対する補償が全くなされないことを不満として、右危険地区内土地の買収反対運動を起した。これに対し、被告は、予算の制約があるから、右住民の要求に応じることはできず、住民が任意に被告の買収に応じない場合には強制収用するとの姿勢を示し続けたため、結局、原告を除く他の住民らは、昭和四〇年六月頃から、個別に、被告の買収に応じていつた。

原告は、他の住民とは異なり、移転先土地の取得がきわめて困難な事情にあつたので、移転先土地を、原告所有地の代替地として払下げることを希望して被告との間で買収交渉を続けていたのであるが、前記はの原の土地以上の工場適地を見出すには至らず、本件買収交渉は行き詰つていた。

(七) ところで、本件事故の補償に関しては、原告は、昭和三九年一〇月二一日被告に対し、本件事故に関する損害補償請求書を提出し、その後、原告と被告の担当者との間で、数回にわたる交渉が重ねられた。

(八) 被告は、施設局長を代理人として、原告との本件交渉に当つていたものであり、施設局長は、原告所有地買収問題は、同局施設部に、本件事故の損害補償問題は同局事業部補償課にそれぞれ分担させ、事業部長がこれを統括し、施設局長及び同局次長が、必要に応じ出席していた。

(九) 原、被告間の交渉においては、昭和三九年一〇月二一日頃から以降は、本件事故についての損害補償の問題と、原告所有地の買収、移転先土地払下げの問題とは、一括して交渉の対象とされるようになつた。そして、当初、原告所有地買収の条件として、被告から提案され、原、被告間で検討を続けていた代替地払下げ問題は、交渉の進展に併ない、本件事故の損害補償交渉における、原、被告間の主張の開きを調整する条件の一つとなつていつた。

(一〇) 原告は、同年一〇月二九日、河野施設部長、施設局の指示により同行した横浜市、大和市の各渉外課係官らとともに、原告所有地の代替地となるべき候補地を調査したが、この時は、結局、被告側が提示した三か所の候補地がいずれも原告の希望する工場の立地条件を充足しないとの理由で、移転先土地についての合意は成立するに至らなかつた。

その後、原告は、さらに施設局担当官とともに、神奈川県相模原市矢部地区、大船PX跡地など数か所の候補地を調査したが、結局、原告の希望条件を充足するに足る土地は見出せなかつた。

(一一) 施設局の大越補償課長、石橋同課員は、昭和三九年一一月二一日、原告に対し、本件事故による損害の被告側第一次補償案を提示した。

(一二) 森事業部長、大越補償課長は、同年一二月一日、原告に対し、座間防衛施設事務所において、被告側第二次補償案を提示したところ、右第二次補償案における補償金額は、第一次補償案の金額をも下回るものであつたため、原告は、右担当者に対し、補償金額の算出根拠を明示するよう要求したが、右要求は拒否された。

(一三) 原告は、同年一二月一九日、右第二次提案の受諾を拒否し、同日付けで、施設局に異議申立書と題する書面を提出したところ、被告は、原告に対し、右第二次補償案の補償金額をわずかに上回る第三次補償案を提示してきた。

(一四) 原告は、同年一二月二四日、訴外小宮山賢(以下、小宮山という。)施設局長に対し、被告が、原告所有地を買収することにより撤去せざるをえなくなる仮設建築物の補償を追加して請求した結果、右仮設建築物の補償問題については、昭和四〇年二月一八日、原、被告間において、本件事故の損害補償、原告所有地の買収交渉とは別個に合意が成立した。

(一五) 被告は、会計年度末が近付くにつれて予算消化の関係から、本件事故の損害補償交渉の早期解決に積極的となつた。そして、施設局長は、昭和三九年一二月一六日付けの文書で、原告に対し、本件事故の損害補償問題は早期解決を計りたい旨通知して来た。

(一六)(1) 原告は、昭和四〇年一月一九日、施設局において、訴外池山施設局次長、森事業部長、大越補償課長らと協議した。

(2) 原告は、同年二月二三日、施設局係官の求めに応じ、「家屋移転補償に伴う土地等買収申請書」と題する書面を提出し、さらに、同年六月末にも、施設局係官から「土地買収等申請書」に記名押印するよう求められた。

(3) 原告は、同年二月二七日、訴外小野防衛施設庁長官と、原告所有地の代替地問題について会談した。

(4) 原告は、同年三月二九日、所轄庁の訴外佐藤敏雄(以下、佐藤という。)調査官と、前記大船PX跡の国有地払下げ問題で協議した。

(一七) 原告は、昭和四〇年四月五日、訴外曽根益(以下、曽根という。)参議院議員、同柏木進(以下、柏木という。)神奈川県々議会議員とともに、民主社会党神奈川県連事務所(以下、民社党県連事務所という。)において、所轄庁の佐藤調査官、訴外皆川補償課長らと本件事故の損害補償交渉を行ない、佐藤調査官は、右席上、第四次補償案を原告に提示して、予算年度の関係で、事故補償の関係だけは事務処理ができるようにしてほしい。その代り、右補償の不足分については、代替地の払下げ問題の解決の際に考慮する。」と提案したので、原告は、右第四次補償案の内容に不満を有しながらも、これに同意した。

(一八) 佐藤調査官は、同月七日、民社党県連事務所において、原告に対し、前に提示した第四次補償案について米軍側の反対が強いことを理由に、原、被告間で、いつたん合意に達している第四次補償案の補償金額を金七〇〇万円下回る修正案を提示したが、原告は、佐藤調査官が、代替地の払下げを確約し、曽根、柏木らの説得もあつたので、右修正案を受諾した。

右修正案の具体的内容は次のとおりである。

(1) 被告は、原告に対し、本件事故の慰藉料として金二一〇万円、遺族補償金として金一三六〇万三九五三円、療養補償費として金四万一七六八円など合計金二一七二万一九八二円を支払う。

(2) 原告所有地は、危険区域に指定するため、原告は、右土地上に工場の再建は行なわず、被告は、右土地を、原告から相当価格で買い上げる。

(3) 第(1)項記載の本件事故補償金額について、原、被告間の主張の開き及び本件事故の態様等を考慮して、被告は、原告に対し、原告の工場再建のための援助として、工場適地を、第(2)項記載の原告所有地が被告に買上げられた場合の坪単価と同価額により算出した金額で払下げる。

(一九) 原告は、右の合意に基づき、原告所有地の買収に応じることを決意し、昭和四〇年七月頃、さきに、原告所有地上に建築した仮設工場を取りこわした。

(二〇) 原告は、昭和四一年三月三一日、被告に対し、前記合意に基づき、原告所有地を坪単価金一万二七〇〇円(一平方メートル当たり単価金三八五〇円)により算出した合計金四三八万一一一九円で売渡し、同年四月一五日、所有権移転登記手続をした。

(二一) 原、被告間において成立した前記合意第(3)項所定の工場適地は、右合意成立時においては、未だ特定されていなかつたのであるが、施設局長は、同四二年一〇月一六日、本件土地を右工場適地として指定した。

(二二) 原告は、本件土地が、それまでに調査した他の候補地と比較して工場適地と考えられたので、右施設局長の指定に同意することとし、購入資金を準備したうえで、同四三年五月一六日、施設局において、訴外川崎事業部長に対し、右本件土地の指定に同意する旨の意思表示をした。

3 被告は、本件土地を占有し、所有権取得登記を了しているところ、本件土地の面積は、一七九一平方メートルであるから、原告所有地の前記買上価格が算定された一平方メートル当り単価金三八五〇円により算出した金六九九万五三五〇円が、被告が、原告に対し本件土地を払下げる場合の払下価格である。

よつて、原告は、本件土地についての右払下代金六九九万五三五〇円を支払うのと引換えに、被告に対し、本件土地を明渡し、かつ、所有権移転登記手続をすることを求める。

二  請求原因に対する認否

1 請求原因1の事実は否認する。

2(一) 同2(一)の事実は認める。

(二) 同2(二)の事実は否認する。

被告は、昭和三五年暮頃から、厚木基地周辺の安全対策として、同年一〇月一八日付けの閣議決定(後に、同四〇年七月二〇日付けの基地問題等閣僚懇談会の了解事項がある。)に基づいて、厚木基地周辺の移転希望者に対し、土地買上げ等の移転措置を講じてきたことがあるに過ぎない。また所轄庁が大和市上草柳公民館において説明会を催したことは認めるが、「基地周辺地一五〇〇メートルないし二〇〇〇メートルを危険地帯とし買収するよう」に求めたのは住民側である。

(三) 同2(三)の事実のうち、被告が原告所有地における工場再建は認めないという方針で行政指導を行なつていたことは否認し、その余の事実は知らない。

四  同2(四)の事実のうち、原告ほか一名が、昭和三九年一〇月一九日、施設局において、森事業部長と面談したことは認めるが、その余の事実は否認する。

(五) 同2(五)の事実のうち、はの原の土地が原告の希望する条件を充足しなかつたことは認めるが、その余の事実は知らない。

(六) 同2(六)の事実のうち、厚木基地周辺の住民のうち移転希望者の所有地を被告が買収したこと、所轄庁、施設局の係官が原告に対し、代替地の斡旋をしたにもかかわらず原告の希望を充足する土地がなかつたことは認めるが、その余の事実は知らない。

(七) 同2(七)の事実は、いずれも認める。

(八) 同2(八)の事実のうち、森事業部長が、事故補償関係の担当部長であることは認める。

(九) 同2(九)の事実は否認する。

所轄庁及び施設局は、国有地を払下げる権限はないのであるから、これが交渉の対象となつたことはなく、単に、原告が、原告主張の趣旨の払下げ要求をしていたに過ぎない。

(一〇) 同2(一〇)の事実のうち、被告担当官らが、本件事故の状況に照らし、原告からの移転希望、原告所有地の買上希望があつたので、本件事故直後より、道義的及び好意的な観点から、国有地など数個所について、原告を同行のうえ案内したこと並びに、これらの移転先土地については、原告主張の理由で原告から拒否されたことは認める。

(一一) 同2(一一)の事実のうち、施設局の原告主張の者が、本件事故の補償交渉のため、原告と面談したことは認める。

(一二) 同2(一二)の事実のうち、施設局の原告主張の者が、本件事故の補償交渉のため、原告と面談したことは認める。

(一三) 同2(一三)の事実のうち、原告が、昭和三九年一二月一九日付けで、施設局に対し、異議申立書と題する書面を提出したことは認める。

(一四) 同2(一四)の事実はいずれも認める。

(一五) 同2(一五)の事実のうち、施設局長が、昭和三九年一二月一六日付けの文書で、原告に対し、本件事故の損害補償問題は、早期解決を計りたい旨通知したことは認める。

(一六)(1) 同2(一六)(1)の事実のうち、原告が、原告主張の日に、原告主張の者に対し、本件事故の補償について陳情したことは認める。

(2) 同2(一六)(2)の事実のうち、所轄庁が、防衛庁書式一九四四による土地買収等申請書を受理したことは認めるが、その余の事実は否認する。

(3) 同2(一六)(3)の事実は知らない。

(4) 同2(一六)(4)の事実のうち、原告が昭和四〇年三月三〇日、佐藤調査官に対し、原告主張の趣旨の要求をしたことは認める。

(一七) 同2(一七)の事実のうち、原告が、昭和四〇年四月五日に、同年三月三一日の日付で本件事故の損害補償に関する文書に調印したことは認めるが、その余の事実は否認する。

(一八) 同2(一八)の事実は否認する。

(一九) 同2(一九)の事実は知らない。

(二〇) 同2(二〇)の事実のうち、原告主張の合意に基づいたことは否認し、その余の事実は、いずれも認める。

(二一) 同(二一)の事実のうち、施設局長が、原告主張の日に、工場適地として本件土地を指定したことは否認し、その余の事実は知らない。

原告は、昭和四二年秋頃、本件土地に着目して神奈川県と相談した際に、神奈川県から所轄庁に照会があつたので、所轄庁で本件土地の地番、地積等を調査のうえ回答したことがあるにすぎない。

(二二) 同2(二二)の事実のうち、原告が、原告主張の日に、川崎事業部長に対し、原告主張の趣旨の同意の意思表示をしたことは否認し、その余の事実は、いずれも知らない。

3 同3の事実は否認し、主張は争う。

本件土地のうち、別紙第一物件目録一記載の土地は、地目変更、地積更正の後、同第四物件目録一及び二記載の土地に分筆され、同二記載の土地は、被告が所有して、道路敷地として利用されているが、同一記載の土地は、現在、訴外フジマル工業株式会社が所有してその旨の所有権取得登記が了されており、また、別紙第一物件目録二記載の土地は、地目変更、地積更正の後、同第四物件目録三及び四記載の土地に分筆され、同四記載の土地は、被告が所有して、道路敷地として利用されているが、同三記載の土地は、現在、訴外フジマル工業株式会社が所有してその旨の所有権取得登記が了されている。

三  被告の主張

1 被告は、原告に対し、本件事故の損害補償として、日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定(以下、地位協定という。)第一八条第五項、地位協定の実施に伴なう民事特別法第一条、合衆国軍隊等の行為等による被告者等に対する賠償金の支給等に関する総理府令(昭和三七年総理府令第四二号)に基づき、昭和四〇年四月一〇日までに、次のとおり、合計金三八〇一万五三八三円を支払つた。

(一) 原告個人に対する損害金

(1) 療養賠償 金 四万一七六八円

(2) 遺族賠償及び遺族旅費 金 一三六〇万三九五三円

(3) 葬祭料 金 六〇万円

(4) 慰藉料 金 二一〇万円

(5) 財産賠償 金 五九四万八二八二円

但し、右財産賠償のうち、概算内払金として、昭和三九年九月一〇日、金三〇〇万円を、仮住宅の建設費として、昭和四〇年二月一九日、金五七万二〇二一円を、それぞれ支払つた。

以上合計金二二二九万四〇〇三円

(二) 有限会社館野鉄工所に対する損害金

(1) 財産賠償 金 八三二万三六五二円

(2) 休業賠償 金 七三九万七七二八円

以上合計金一五七二万一三八〇円

2 右補償額決定の経緯は、次のとおりである。

(一) 所轄庁の佐藤調査官は、昭和四〇年一月二二日、民社党県連事務所において、原告に対し、所轄庁の査定案を内示説明して、右案に基づき、米軍側と交渉するが、損害補償金額の決定には、米軍の同意を必要とする旨説明して、原告の了解を得ておいた。

(二) 皆川補償課長は、右同日、原告に対する本件事故の補償問題について、米軍側と交渉したところ、米軍側が提案した査定案は、前記所轄庁の査定案を約金六五〇万円下廻るものであつた。

(三) そこで、施設局の小宮山局長は、翌二三日、前記民社党県連事務所において、原告に対し、右米側の見解を伝達したうえで、米側の所轄庁査定案に対する同意を得るためには、相当の日時と立証資料の追補を必要とする旨説明したところ、原告は、米軍に対する強力な説得再交渉を依頼した。

(四) その後、被告は、昭和四〇年三月一五日、前記米側査定案を金額において金二五〇万円上廻る最終査定案を策定し、同月二五日、原告に対し、民社党県連事務所において、右最終査定案の内容を詳細に説明し、右の案で米側と再交渉するので了解して欲しい旨説得したが、原告は、回答を保留した。

(五) 原告は、昭和四〇年三月三〇日、佐藤調査官に対し、前記最終査定案を受諾するが、大船PX跡国有地を原告に払下げる斡旋をすることを条件とする旨回答した。

(六) 佐藤調査官は、翌三一日、施設局々長室において、原告に対し、原告の希望する国有地払下げの件は、当庁の所管外のことであるから、無条件で、前記被告の最終査定案により、被告に米側との交渉を一任してほしい旨説得したところ、原告も結局、これを了解したので、被告担当官は、前記最終査定案をもつて、米軍賠償部長と交渉した結果、その合意を得ることができた。

(七) その結果、原告は、昭和四〇年四月五日、施設局において、事故補償の同意書に署名押印し、本件事故の損害補償の間題については解決したものである。

(八) 所轄庁は、昭和四一年三月三一日、原告が、原告所有地からの移転を強く希望していたので、原告との間で、仮住宅及び焼残り工作物の移転について、建物等移転補償契約を締結し、被告は、同年四月二三日、原告に対し、右補償費として金一八五万七七五六円を支払つた。

3 被告の担当官が、原告に対し、代替地を斡旋した経緯は次のとおりである。

(一) 所轄庁は、本件事故発生当時から、原告の被災状況に同情し、道義的又は好意的立場から、国、公、民有地数か所について、被告の担当官が、原告本人を案内して調査したが、いずれも、原告の希望する立地条件を充足しないとの理由で拒否されたため、所轄庁は、原告に対し、工場再建計画の提出を求めたところ、原告は、これを提出せず、被告の代替地斡旋作業は一時中断した。

(二) その後、原告は、昭和四三年五月一六日、本件土地について、施設局長あての援助協力方の依頼文書を添付のうえ、関東財務局横浜財務部長を経由して、関東財務局長に対し、「国有地の払下げ申請について」と題する書面の提出をしたので、所轄庁は、副申を添えて、右書面を、関東財務局長あて(同横浜財務部長気付)へ提出し、横浜財務部長に対し、事情説明のうえ、配慮方を依頼したのであるが、同年一二月一八日付けで、横浜財務部長から、種々検討した結果、原告の前記本件土地払下げ申請には応じられないという結論に達したので、当該申請書は、原告に返却した旨の通知があつた。

(三) 本件土地は、国有財産法第三条所定の普通財産に属するものであるから、同法第六条により、その管理及び処分の権限は、大蔵大臣にあり、所轄庁では、何ら処分の権限を有していないものである。

(第二事件)

一  請求原因

1 原告は、昭和四一年三月三一日、被告に対し、原告所有地を、金四三八万一一一九円で売渡し、同年四月一五日、被告に対し、所有権移転登記手続をして引渡した。

2 原告が、被告に対し、原告所有地を売渡すに至つた経緯は、前記第一事件請求原因2において主張したとおりである。

3 原告は、昭和四三年五月一六日、それまで被告から紹介された代替候補地の中から本件土地を選択指定し、被告に対し、その旨通知して、本件土地の払下げに必要な手続をなしたところ、被告は、本件土地の払下げについては、原告と、前記本件事故の損害補償及び原告所有地の買収交渉を担当していた所轄庁係官が、道義的又は好意的見地から、代替地払下げの斡旋をしたことはあるが、本件土地の払下げ自体を約束したことはないとして、被告は、昭和四三年一二月一八日、原告に対し、本件土地の払下げは拒絶する旨通知した。

4 原告は、本件事故直後から、原告所有地上に、工場再建計画を有していたのであるが、被告は、原告に対し、原告所有地は、前記危険区域に指定される予定であり、原告所有地が使用継続される場合は、将来、土地収用法に基づき強制収用されることになると申述べて原告に、その使用を断念させたものであり、さらに原告は、被告が、原告に対し、工場用地として代替地の払下げをすると約束したので、原告所有地を被告に売却したところ、原告所有地は、危険区域には指定されず、また、土地収用法が適用されることもなかつたのであるから、原告の原告所有地売渡しの意思表示は、その主要な部分に錯誤があり無効である。

5 被告は、原告が、基地周辺土地に対する法的規制、土地収用法の運用及び国公有地の払下げ手続等について全く知識を有していないのに乗じて、原告との間で、不当な廉価で、原告所有地の売買契約を締結したものであり、右売買契約は、公序良俗に反し、無効である。

よつて、原告は、被告に対し、原告所有地について、横浜地方法務局大和出張所昭和四一年四月一五日受付第九四二六号の所有権移転登記の抹消登記手続をすることを求める。

二  請求原因に対する認否

1 請求原因1の事実は、いずれも認める。

2 同2の事実に対する認否及び被告の主張は、第一事件請求原因に対する認否2及び被告の主張において主張したとおりである。

3 同3の事実のうち、原告が昭和四三年五月一六日、所轄庁に対する援助協力方の依頼文書を添えて、関東財務局長あてに「国有地の払下げ申請について」と題する書面を提出したこと及び被告が原告主張のとおり本件土地の払下げには応ぜられない旨通知したことは認めるが、その余の事実は否認する。

4 同4の事実のうち、原告が、原告所有地を被告に売却したことは認めるがその余の事実は否認し、主張は争う。

5 同5の事実は否認し、主張は争う。

第三証拠〈省略〉

理由

(第一事件)

一  原告が、昭和三八年九月頃から、厚木米海軍飛行場(以下、厚木基地という。)の北方約一キロメートルの付近に所在する別紙第二物件目録記載の土地(以下、原告所有地という。)に居住し、同所において、有限会社館野鉄工所の代表取締役として鍛造業を営んでいたこと、昭和三九年九月八日午前一一時頃、右厚木基地を離陸した米海軍第七艦隊所属のF8Cジエツト戦闘機が、原告所有地上の建物に墜落し、その結果、原告所有地上の工場二棟、諸機械設備、原告所有の住居一棟等を全壊全焼させ、また、右工場内で勤務中の原告の長男館野年和(当時二五才)、同次男館野幸男(当時二三才)、同三男館野和之(当時一九才)を含む合計五名が死亡した(以下、本件事故という。)こと、原告が、昭和四一年三月三一日、被告に対し、原告所有地を坪単価金一万二七〇〇円(一平方メートル当たり単価金三八五〇円)により算出した合計金四三八万一一一九円で売渡し、同年四月一五日、所有権移転登記手続をしたことは当事者間に争いがなく、〈証拠省略〉及び弁論の全趣旨によると、被告は、昭和四〇年三月三一日付けをもつて、原告に対し、本件事故の損害賠償として、日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定(以下地位協定という。)第一八条第五項、地位協定の実施に伴なう民事特別法第一条合衆国軍隊等の行為等による被害者等に対する賠償金の支給等に関する総理府令(昭和三七年総理府令第四二号)に基づき、施設局長名義の昭和四〇年三月三一日付け施横第一二五三号(YOC)の補償金支払決定通知書をもつて、原告に対し、療養補償金四万一七六八円、遺族補償金一三六〇万三九五三円、慰藉料金二一〇万円、葬祭料金六〇万円、財産補償金五三七万六二六一円、以上合計金二一七二万一九八二円(昭和三九年九月一〇日支払済の概算内払金三〇〇万円を含む。)を支払う旨通知し、原告は、昭和四〇年三月三一日付け同意書をもつて、これに同意し、右金員は、同年四月一〇日頃までに支払われたこと、また、原告は、施設局に対し、昭和三九年一一月一九日付けの損害賠償請求書を提出していたところ、施設局長は、原告に対し、昭和四〇年二月一八日付け施横第五一〇号(YOC)の補償金支払決定通知書をもつて財産補償(仮住宅建設費)として金五七万二〇二一円を支払う旨を通知し、原告は、昭和四〇年二月一九日付けの同意書をもつて、これに同意し、同金員が支払われたこと、更に、施設局長は、昭和四〇年三月三一日付け施横第一二五三号(YOC)の補償金支払決定通知書をもつて、有限会社館野鉄工所に対し、休業補償金七三九万七七二八円、財産補償金八三二万三六五二円、合計金一五七二万一三八〇円を支払う旨通知し、原告は、右会社代表取締役として、同日付け同意書をもつてこれに同意し、右金員が支払われたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

二  原告は、原告が、本件事故による被告の補償金支払決定に対して同意したのは、被告が、原告に対し、原告の工場再建のための援助として、原告所有地を買収するとともに、工場適地を原告所有地が被告に買上げられた坪単価と同価額により算出した金額で払下げる旨を約したからであるところ、施設局長は、昭和四二年一〇月一六日、原告に対し、別紙第一物件目録記載の土地(以下本件土地という。)を右工場適地として指定し、原告は、同四三年五月一六日、被告に対し、右本件土地の指定に同意する旨の意思表示をし、これによつて、原告は、被告から本件土地の払下げを受けた旨主張するのに対し、被告は、これを争うので、以下この点について判断する。

まず、本件事故による補償金支払決定に至るまでの経過について判断する。

防衛施設庁(以下、所轄庁という。)が、本件事故後大和市上草柳公民館において説明会を催したこと、原告ほか一名が、横浜防衛施設局(以下、施設局という。)において、訴外森和雄(以下、森という。)事業部長と面談したこと、別紙第三物件目録記載の土地(以下、はの原の土地という。)が、原告の希望する工場適地としての条件を充足するものではなかつたこと、厚木基地周辺の住民のうち移転希望者の所有地を被告が買収したこと、原告は、昭和三九年一〇月二一日、被告に対し、本件事故に関する損害補償請求書を提出し、その後、原告と、被告の担当者との間で、数回にわたる交渉が重ねられたこと、森事業部長は、本件事故の損害補償問題に関する担当者であつたこと、被告担当官らが、本件事故の状況に照らし、原告からの移転希望、原告所有地の買上希望があつたので、本件事故直後から、道義的及び好意的な観点から、国有地など数箇所について、原告を同行のうえ案内したこと、これらの移転先土地については、いずれも原告の希望する工場の立地条件を充足しないとの理由で原告から拒否されたこと、その後、施設局の森事業部長、訴外大越補償課長、同石橋補償課員は、本件事故の補償交渉のため、原告と面談したこと、原告は、昭和三九年一二月一九日付けで、施設局に対し、異議申立書と題する書面を提出したこと、原告は、昭和三九年一二月二四日、訴外小宮山賢(以下、小宮山という。)施設局長に対し、被告が、原告所有地を買収することにより撤去せざるをえなくなる仮設建築物の補償を追加して請求した結果、右仮設建築物の補償問題については、昭和四〇年二月一八日、原、被告間において、本件事故の損害補償、原告所有地の買収交渉とは別個に合意が成立したこと、施設局長が、昭和三九年一二月一六日付けの文書で、原告に対し、本件事故の損害補償問題は、早期解決を計りたい旨通知して来たこと、原告は、昭和四〇年一月一九日、訴外池山施設局次長、森事業部長、大越補償課長に対し、本件事故の補償について陳情したこと、原告は、昭和四〇年三月二九日、佐藤調査官に対し、前記大船PX跡の国有地払下げを要求したこと、原告は、昭和四〇年四月五日、同年三月三一日の日付けで、本件事故の損害補償に関する文書に調印したことについては、いずれも当事者間に争いがない。

右当事者間に争いのない事実、前掲〈証拠省略〉並びに弁論の全趣旨を総合すると以下の事実が認められる。

1  内閣は、昭和三五年一〇月一八日、防衛庁が、同月一四日防衛庁発調総第二二号をもつて申請した「厚木飛行場の隣接地域に所在する建物等の移転補償等について」と題する案件について、次のような内容の閣議決定をした。

(一) 調達庁長官は、厚木飛行場に隣接する地域で、航空法(昭和二七年法律第二三一号)第二条に規定する進入表面又は転移表面に準じ、調達庁長官の定める平面の投影面と一致する区域内に所在する建物、立木竹及び工作物等の所有者及び関係人から他の地域に移転したい旨の申請があり、かつ、その必要があると認めるときは、その移転に要する費用を補償する。

(二) 調達庁長官は、前項により移転補償をすることとした建物、立木竹及び工作物等のある土地につき必要があると認めるときは、これを買収することができる。

右閣議決定は、厚木基地を離着陸する航空機の騒音、爆風、震動等による付近住民の被害問題を解決するとともに、航空機の墜落事故等による危険を未然に防止することを目的とするものであつた。

2  右閣議決定に基づき、被告は厚木基地の隣接地域については、従前から、予算措置を講じて、同地域から他へ移転を希望する者を対象として、右移転希望者所有地の買収を行なつてきており、原告所有地を含むその周辺地区に居住する住民は、右閣議決定に基づく移転補償措置により他に移転したが、その跡地の一部は国による買収がなされず、空地として放置されていたところ、原告は、前記のとおり昭和三八年九月頃から右空地として放置されていた原告所有地に移住し、鍛造業を営み、その間、本件事故に遭遇するに至つた。

3  その後、基地問題等閣僚懇談会は、昭和四〇年八月三日、「横田および厚木飛行場等の周辺における安全措置等について」と題する案件について、次のような内容の了解をした。

(一) 飛行場に隣接する地域で、航空法第二条に規定する進入表面の投影面と一致する区域(以下、進入表面区域という。)又は転移表面の投影面と一致する区域のうち、防衛施設庁長官の定める区域内に所在する建物、立木竹及び工作物等の所有者及び関係人から、他地域に移転したい旨の申請があり、かつ、その必要があると認められるときは、その移転に要する費用を補償し、及びこれに伴い必要な場合には、これらの物件の所在する土地を買収する。なお、進入表面区域については、必要と認められる場合には、勧奨により上記の措置をとることができる。

(二) 飛行場の進入表面区域のうち、着陸帯に接続する区域で防衛施設庁長官の定める区域に所在する土地((一)により買収する土地を除く。)については、必要に応じ買収することができる。

(三) 飛行場の進入表面区域のうち、防衛施設庁長官の定める区域において、将来新たに住宅等が建築されないよう、必要に応じて、適切な措置をとる。

(四) (一)の移転を円滑に行なうため、必要に応じ、その対策について各具体的事例に即して関係各省庁は、協議し、その促進のため協力するものとする。

4  施設局の訴外小宮山局長は、本件事故直後の昭和三九年九月一〇日、原告及びその妻に対し、緊急の葬儀費用として金四〇〇万円を支払つた。

5  本件事故を原因とする、被告と原告間の補償交渉は、まず、損害の金銭による賠償交渉が開始され、被告側では、所轄庁総務部補償課及び施設局事業部が右交渉を担当していた。

施設局係官は、同年九月末頃、原告に対し、本件事故による損害賠償金として金二三〇〇万円の支払いを提案したが、原告は、右提案は、金額があまりにも低すぎるとしてこれを拒否した。

原告は、本件事故発生の後、しばらくしてから、施設局の係官に対し、原告所有地において鉄工所の仕事を継続する気持ちにはなれないので、他へ移転したいが、そのための移転先土地の斡旋をしてほしい旨申し入れた。

原告が原告所有地からの移転を希望したことに基づき、原告所有地の買収については、所轄庁施設部が、これを担当することとなつた。

6  原告は、同年一〇月頃、本件事故による私有財産損害賠償請求書を施設局係官に提出し、私有財産の補償として合計金二一四三万七六五一円を請求した。

原告の右請求金額には、代替地取得費用を含んでいるところ、右費用の算出に当つては、原告所有地を坪当たり単価金二万二〇〇〇円合計金七五九万円と評価し、代替地は、原告所有地と同面積で、坪当たり単価金三万五〇〇〇円合計金一二〇七万五〇〇〇円と評価してその差額を金四四八万五〇〇〇円と計算し、これに不動算仲介手数料金六〇万円余を加算していた。

7  原告は、同年一〇月一九日、小宮山施設局長に対し、移転先土地の斡旋について正式に要請したところ、小宮山は、代替地の斡旋は、所管外の業務であるから非常に困難であると考えられるが、本件事故の態様を考慮して、所轄庁を通じ、できるだけのことはしてみる旨を答えた。

8  原告は、同年一〇月二〇日頃、施設局係官に対し、本件事故による損害補償金として総合計金一億五〇〇〇ないし六〇〇〇万円の支払いを要求した。

9  同年一〇月二二、三日頃、神奈川県の主催で、館野鉄工所移転協議会が開催され、施設局からは、森事業部長と河野施設部長がこれに出席した。この際、原告に対する移転先土地の斡旋問題が協議され、移転先土地において工場を建設するためには、盛土をする必要があるところ、盛土用土砂については、横浜市がこれを供出する旨を提案し、盛土用土砂の運搬については施設局が在日米軍に協力を依頼する腹案で、原告に対しては施設局が盛土用土砂の運搬に協力する旨言明した。神奈川県、横浜市及び施設局は、いずれも代替地斡旋業務は、その所管外のものであつたが、原告の立場に同情して、原告の原告所有地からの移転に、できるだけ協力しようとしたものである。

10  施設局係官が、同年一〇月末頃、原告と、本件事故による損害補償金の金額について折衝したが、両者の主張する金額には、かなりの開きがあり、交渉は難行していた。また、同じ頃、神奈川県及び施設局で、原告の移転先候補地として三ケ所を選定し、原告に提示したが、原告は、右土地のいずれも、原告の希望する鉄工所の立地条件を充足しないとの理由で、右斡旋を拒否した。

11  施設局係官は、同年一一月頃、原告に対し、本件事故による損害補償金として約金二八〇〇万円の支払いを提案したが、原告は、前回の提案時と同様、低額すぎることを理由に受諾を拒否した。

施設局長は、昭和三九年一二月一六日、施横第四八八九号(YOC)「航空機事故に係る損害賠償の早期解決について」と題する書面を、原告に送付し、本件事故の損害補償問題を、予算年度内に終了させるために、原告が、被告との交渉に応じるよう要請した。

原告は、昭和三九年一二月一九日、施設局に対し、私有財産関係の施設局案に対する異議申立書を提出した。その内容は、原告所有地の買収価格がせいぜい坪当たり金六一五〇円で低額に過ぎること、そうとすれば移転先土地も同価格で払下げて貰いたいこと、原告所有地の買収が未定であるので休業補償も増加して貰いたいこと、原告所有地上の建物補償価額が低れんに過ぎること等であつた。

12  前記交渉の経過の後、施設局は、昭和三九年一二月又は同四〇年一月頃、原告に対し、補償金三九〇〇万円を提案し、さらに、その後、民社党代議士の斡旋もあり、施設局は、補償金四五〇〇万円を提案したが、原告は、右金額にさらに金三〇〇万円を上積みした金四八〇〇万円の支払いを要求した。

13  その後、所轄庁長官の指示もあり、施設局内部で、本件事故による損害補償金額を再検討した結果、在日米軍賠償部と交渉するために原告の内諾を受けておく日本側案として金四六〇〇万円とすることを決定した。右損害補償金に対する施設局案が、当初の案に比較して著しく増額している一因は、原告所有地の買収について、原告の希望価額が坪単価金二万円、原告の右取得価額が坪単価金八五〇〇円であるのに、被告の買収価額が坪単価約金六〇〇〇円程度の予定であつたことにある。

14  小宮山局長は、昭和四〇年一月二三日頃、民社党県連事務所において、本件事故による損害補償金として、原告、原告の家族、及び有限会社館野鉄工所に対し、総合計金四六〇〇万円を支払う旨の提案を、最終的な補償金額の決定については、在日米軍の同意を必要とするので、在日米軍との折衝の結果、原、被告間で一応の合意に達している右補償金額が減額された場合には、当該減額された金額をもつて補償金額とすることを了解するとの条件付きでなし、原告はこれに同意した。この際、原告が、代替地へ移転する場合に、盛土用土砂の輸送及び工場再建のための融資についての協力を希望したので、施設局係官は、移転の話が具体化すれば、施設局としてもできるだけの協力は惜しまない旨答えた。

15  所轄庁は、原告との合意に基づき、在日米軍賠償部と折衝したが、金額の点で、双方の主張には大きな差があつたため、交渉は難行した。

16  所轄庁総務部の訴外佐藤敏夫調査官、同皆川孝平補償課長らは、昭和四〇年三月二五日、民社党県連事務所において原告と面談し、佐藤は、在日米軍賠償部との交渉経過を説明して、米側は、現在、金三五〇〇ないし三六〇〇万円を主張しており、所轄庁係官としては、約金三八〇〇万円程度が米側を説得する限界である旨発言して原告に、右金額での了解を求めたところ、原告は、これに対し、回答を保留した。

17  その後、原告は、同月末日、右佐藤らと面談し、前記所轄庁の提案に同意する旨回答したので、所轄庁係官が、在日米軍賠償部の了解を取り付け、同年四月五日、被告は、原告に対し、有限会社館野鉄工所に係る分を含め、本件事故による損害補償金として金三八〇一万五三八三円を支払うことで合意が成立した。

18  原告は、同年四月一〇日頃、所轄庁の佐藤調査官を訪れ、本件損害補償問題での尽力に礼を述べるとともに、工場再建のための適当な土地の斡旋を依頼したが、佐藤は、土地の斡旋は所管外の業務であることを理由にこれを断つた。

19  原告は、施設局長に対し、原告所有地上の建物について、建物等移転補償申請書を提出し、右申請に基づき、被告は、原告との間で、原告は、原告所有地上の住宅(建物二棟七一・八六平方メートル、工作物一五件、動産一式)を昭和四一年三月三一日までに移転し、被告は、原告に対し、右各物件の移転補償として金一八五万七七五六円を支払う旨の建物等移転補償契約書を締結した。

20  原告は、施設局長に対し、原告所有地面積三四五坪について、土地買収申請書を提出し、右申請に基づき、被告は、昭和四一年三月三一日、原告との間で、原告が、原告所有地面積三四四・九七坪を金四三八万一一一九円で被告に売渡し、同日までに引渡す旨の土地売買契約書を締結した。

21  その後、原告は移転先土地としては、本件土地以外にないと考え、神奈川県渉外部渉外課長に対し、本件土地についての調査を依頼したところ、同課長は、昭和四二年一〇月一六日、施設局に照会のうえ、所在地、公簿地目、現況等について原告に回答した。

22  そこで、原告は、昭和四三年三月二六日頃、施設局長に対し、「国有地の払下げ申請について」と題する書面ではの原の土地の払下げを申請したが、施設局係官は、昭和四三年五月二日、施設局事業部長室において、右申請書を原告に返却し、さらに、施設局長は、昭和四三年五月二日付け施横第一七三二号(YOC)をもつて国有地払下げ申請については、施設局の所管事務ではなく、大蔵省の所管事務であるから、右申請は、関東財務局長あてになすべきものである旨を回答した。

23  このため、原告は、同月一六日頃、関東財務局長宛に、はの原の土地についての払下げの申請書を提出するとともに、施設局長宛に、右申請について援助協力方を求める書面を提出した。

24  これに応じて、施設局長は、「館野正盛申請に係る国有地の払下げ申請について」と題する昭和四三年五月二三日付け施横第一九三〇号(YOC)の書面をもつて、関東財務局横浜財務部長にあて、原告がはの原の土地払下げ申請について施設局に協力を求めて来たので特段の配慮を依頼する旨の通知をしたところ、関東財務局横浜財務部長は、施設局長に対し、昭和四三年一二月一八日付け関財浜管二第五七一号の「国有地払下げ申請について」と題する書面で、はの原の土地払下げ申請には応じられない旨を昭和四三年一二月一八日付けで原告に回答した旨の通知をした。

25  また、原告は、昭和四三年五月一五日頃、神奈川県知事に対し、はの原の土地払下げについての協力援助を依頼し、これを受けて、神奈川県知事は、関東財務局長に対し、昭和四三年五月三一日付けの「国有地払下げ申請について」と題する書面で、はの原の土地の原告への払下げについて格別の配慮を依頼する旨通知したところ、関東財務局横浜財務部長は、神奈川県知事に対し、昭和四三年一二月一八日付け関財浜管二第五七〇号の「国有地払下げ申請について」と題する書面で、はの原の土地払下げ申請には応じられない旨を原告に回答した旨の通知をした。

以上の各事実が認められ、右認定に反する〈証拠省略〉はいずれも、前掲各証拠に照らし容易に措信できず、他に、右認定に反する証拠はない。

以上認定の事実に徴すると、原告が、本件事故に基づく損害補償交渉の過程において、被告施設局の係官に対し、代替地の斡旋を強く要望していたこと及び代替地の斡旋と損害補償の交渉が併行していたことは窺えるものの、施設局係官等被告担当者の土地斡旋は原告の被つた悲惨な事故に対する同情と原告への好意の立場からなされたものというべきであり、右土地斡旋が本件事故による被告の補償金支給決定及び原告所有地の被告による買収に対する原告の同意の前提条件となつていたものとは認め難く、その他本件全立証によるも、原告主張の土地払下げ契約が、原、被告間に成立したものと認めることはできない。

三  よつて、原告の被告に対する第一事件請求は、その余の点について判断するまでもなく、すべて理由がない。

(第二事件)

一  請求原因1の事実は、いずれも当事者間に争いがない。

二  被告が、原告から、原告所有地を買収した経緯は前記認定のとおりであるところ、被告は、原告の希望に基づいて、原告所有地を買収したものであり、また、被告が、原告に対し、代替地払下げを約束した事実及び右代替地払下げが原告所有地買収に対する原告の同意の前提条件となつていた事実は認められないのであるから、原告の原告所有地売渡しの意思表示に、錯誤があつたものと言うことはできず、その他原告主張事実を認めるに足る証拠はない。

また、原告は、原告所有地についての原、被告間の売買契約は、公序良俗に反する旨主張するが、前記認定の事実に照らすと、本件売買契約は、公序良俗に反するものと言うことはできず、その他原告主張事実を認めるに足る証拠はない。

よつて、原告の被告に対する第二事件請求も、その余の点について判断するまでもなく、理由がない。

(結論)

以上の次第で、原告の第一事件及び第二事件請求は、いずれも理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 山口繁 渡辺雅文 奥田隆文)

第一ないし第四物件目録〈省略〉

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